テレサ・テンのプロフィール
1953年1月29日台湾雲林県龍岩村に生まれる。
幼少から「リンゴ追分」などを歌い天才少女と呼ばれ、台湾・香港をはじめ東南アジア各国で大活躍しているときに、日本のレコード会社の目にとまり、困難を極めた交渉の末、日本デビューした。ちなみに、台湾での初オリジナル曲は、「晶晶」である。
しかし、あくまで日本が活躍の拠点ではなかった。

1970年香港歴代最年少の「白花油慈善皇后」に選ばれたり、映画「謝謝総経理」に初主演している。
また、アルバム「島国之情歌」シリーズも出している。
彼女は、若くしてすでにアジアの大スターだったために、日本だけでの活躍は許されなかった。
当時、台湾・香港から日本でデビューした歌手はたくさんいたがほとんど母国では活躍していないのが
大半だった。
また、人気歌手となった人も、日本に移住したような人ばかりだった。
この点も、ほかの台湾・香港からの歌手とは大きな違いだった。

彼女は、日本滞在期間は短かったけれど、驚くほど多くのオリジナルやカバー曲を残した。
どんな曲でも心を込めてうまく歌えた。

中国の古典詩に曲をつけた「淡々幽情」は、アルバム・オヴ・ザ・イヤーを受賞している。
コンサートは東南アジアを中心に行われ、香港ではクイーンエリザベス・スタジアムや利舞台、香港コロシアムで、日本では本格的には唯一NHKホールで行われている。

中華圏では、彼女の歌は誰にでも聴かれた。
一時中国では、諸般の事情により、彼女の歌は禁止され違反者は財産を没収されるという状況下でも、人々は聞き続けとうとう政府も名誉を回復した。
一時は、中国天安門広場での100万人コンサートの準備も進められたが、1989年の事件により夢と消えた。
この件が、後のテレサ・テンの人生にとって大きな陰となった。

彼女の、おびただしい数の曲はレコード・CD・テープとなって、海賊版を含めれば1億を遙かに超え人々に聴かれた。
全球的10億人民の星となったのである。

1995年5月8日タイ北部チェンマイに休暇で滞在中、気管支喘息の発作による呼吸困難で永眠。42歳
突然の死は、驚きを持って世界に伝わった。
準国葬が行われ、日本をはじめとする出席者、多くのファンを悲しませた。
テレサの死後、その功績をたたえレコード大賞「特別功労賞」が贈られた。

1996から97年にかけて、全国各地で追悼展が開かれた。まず、横浜高島屋にてテレサ・テン没後一周年追悼展が、続いて仙台・藤崎、ラフォーレ原宿・小倉、名古屋三越を巡回した。この他、神戸、熊谷・八木橋でもテレサ・テン追悼展が開催されている。

中国大陸で、中国人のために歌う夢を果たせなかった彼女だったが、2003年とうとう、中国上海で彼女の文物展が開催された。
さらに、2004年にはいると、テレビ等でも話題が取り上げられテレサ・テンの中国での名誉は完全に回復された。


(テレサ・テンの詳しいプロフィール)